2輪のグランプリを最初に観たのは、オーストリアのザルツブルグ・リンクだった。
当時は、"キング"ケニー・ロバーツが現役を退き、4ストロークエンジンのテクノロジーを世界に誇ったホンダが、2ストローク・マシンで"天才"フレディー・スペンサーを擁してモーターサイクル・グランプリへ殴りこみをかけたタイミング。国内では2輪GPブームが燃え上がろうとしていた、まさにその時であった。
前のシーズンにケニー・ロバーツとの死闘を制して"キング"を引退に追いやり、ホンダをワールド・チャンピオンに導いたフレディ・スペンサー。このシーズン、ホンダは入魂の4気筒マシンNSR500を投入・・・向かうところ敵なしというのが大方の下馬評であったが、シーズン緒戦の南アGPでホィールトラブルでハイスピード・クラッシュを喫した。
"天才"はそんな不運を一蹴し、第2戦のサンマリノでは両脚の怪我というダメージを引きずりながらも優勝するのだが、運命の女神は"天才"の勝利をあざ笑うかのように、英国ドニントンパークの英米対抗マッチレースで再びクラッシュの試練を与えた・・・
第4戦のザルツブルクに姿を現したフレディー・スペンサーは、ダメージからすっかり立ち直っているように見えた。だが、プラクティスで4気筒NSRのタイムが伸びない。結局、ザルツブルグでは3気筒NS500をチョイスし、予選タイムは3番手。
決勝レースはロン・ハスラムの"ロケット・スタート"で幕を開けた。トップグループは3台のホンダと1台のヤマハ。ほどなくフレディーはエンジンの不調で徐々に後退。助っ人参加でホンダを駆るランディー・マモラとヤマハのエディー・ローソンのドッグファイトがレース中盤まで続くが、フレディー不在の第3戦スペインGPで優勝を決めたエディーの勢いは止められなかった・・・・・
このレースで勝ったマールボロ・ヤマハのエディー・ローソンが、結局このシーズンのチャンピオンに輝き、以後ワイン・ガードナーが登場、ミック・ドゥーハンが活躍するオーストラリアン台頭の時代を迎えるまで、アメリカン・ライダー全盛の時代が続いたのであった。
後で振り返ると、流れの中のターニングポイントが浮かび上がって見えることがある。このザルツブルグのグランプリは、その後何年かのグランプリ・シーンの行方の伏線をいくつか垣間見せてくれたように思う。
#写真は、オーストリアGP / 500ccクラス決勝の2ラップ目。 トップはランディー・マモラ、以下、ロン・ハスラム、フレディー・スペンサー、ロブ・マッケルニ / May, 1984